先日、善通寺で開催された「命はめぐる」という看取り士柴田久美子さんの講演会に行ってきました。
「看取り士」今回、初めて聞いた言葉でした。
自然な死に方というのがどういうものか、納得のいく看取り方ができると、不本意な別れ方になった場合と比べて亡くなった後の家族の気持ちが全然違うということが分かり、死別に対する不安や恐怖のようなものがかなり薄れました。
講演の中で、5人の子供を残してガンで亡くなった37歳の母親の看取りの話がありました。
37歳というと私と同じ年です。
子供を残して先に行くのはどれほど心残りだったかと胸が痛みます。
母親は最後亡くなる前に子供一人一人を病床に呼び寄せて「ママは魔法使いになってあなたのそばにずっといる」という話をしたそうです。
そして、家族みんなに看取られて亡くなり、亡くなった後もご主人が膝の上にずっと抱いて過ごしたそうです。ご主人は、「妻がずっとそばにいるような不思議な感じがする」と言ったそうです。
子供たちも「お母さんはいつもそばにいてくれている」と感じていると。
こんな風な別れ方ができる死別もあるんだと分かり、少し心が軽くなりました。
人が病院で亡くなるようになってから、人はどのように生まれて、どのように死んで行くのか、そんなことを生活の中で体験する機会が減っています。
子供たちにも人の死や、身近な人と死別するということがどういうことなのか、教える機会がなくきたので、「ありがとう、おばあちゃん」という子供向けの絵本を買って帰りました。
さっそく家で読んでみると、子供たちがとても気にって、何度も何度も読んでいます。
車椅子を押している女の子の表紙の絵を見ながら、おばあちゃんになって歩けなくなったから、車椅子に乗っているおばあちゃんをかなちゃんが押してあげているよ、かなちゃんが赤ちゃんで歩けなかったときは、おばあちゃんがベビーカーを押してくれていたんだろうねと話ながら読みました。
私は、普段「誕生学」で、自分たちのいのちがどうやって始まり、どんなすごいいのちの力を発揮して生まれてきたのかということを子供たちに伝えています。
自分の持ついのちの力を知ることで、生きる力にして欲しい、自分が今ここに存在していることを肯定的に感じる機会を持って欲しいという思いで活動をしています。
看取り士さんのお話は、誕生学に通じるところがすごくあると思いました。
人のいのちがどんな風に始まって、どんな風に生まれてくるのか、ということとあわせて、人のいのちが終わるというのはどういうことなのか、どんな風にいのちのバトンが繋がって行っているのかということを知れば、その間にある「今この人生」をどんな風に輝いて生きるのかということを真剣に考えるきっかけになるのではないかなと思いました。
柴田さんの著書「看取り士日記」の中で、死は「第二の誕生」でもあると書かれていました。
「ありがとう、おばあちゃん」の中でも、おばあちゃんが歩けなくなり、ベッドから起きられなくなり、やがて目を閉じて動かなくなる様子が描かれています。人はだんだん赤ちゃんに戻っていくのだと思えば、「死」は「もう一度生まれること」と同じだと、「死」は「次のいのちにバトンをつなぐ行為」だと実感できまた。
「いのちが巡っていること」がよく分かるお話でした。
古い記事へ 新しい記事へ